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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)8号 判決 1982年5月17日

原告

永山則夫

被告

髙梨茂

右訴訟代理人

今井文雄

被告

福島章

右訴訟代理人

飯沢進

主文

一  原告の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一当事者

原告が昭和五二年一一月当時本刑事裁判の被告人であつたこと、被告福島が犯罪精神医学を専攻する者であり、被告髙梨が雑誌「中央公論」の発行責任者であることは当事者間に争いがない。

二本刑事裁判の経過等

<証拠>によれば、以下の事実を認めることができる。

1  原告は、昭和二四年六月二七日生れであるが、同四四年五月殺人、強盗殺人、同未遂、窃盗等被告事件につき当庁に公訴を提起された(本刑事裁判)。その公訴事実の要旨は、原告は、昭和四三年一〇月初めころ横須賀の米軍基地から二二口径小型けん銃一丁を窃取し、これを用いて同年一〇月一一日から一一月五日までの間東京芝のプリンスホテル、京都八坂神社で警備員各一名を射殺し、函館及び名古屋でタクシー運転手二名を射殺したうえ売上金等を強取した(以下これらの事件を総称するときは「連続射殺事件」といい、東京を除くその余の都市における事件を個別に表示するときは、それぞれ「京都事件」「函館事件」「名古屋事件」という。)ほか、同四四年四月七日東京都内の学校事務室で金品を物色中、警備員に発見されて射殺しようとしたが命中しなかつた(以下この事件を「原宿事件」という。)というものであつた。

本刑事裁判は、昭和四四年八月八日に第一回公判期日が開かれ、審理を重ねた後、同四六年六月一七日の公判期日で検察官が論告を行い、原告に死刑を求刑した。その後、担当裁判官が交替したため公判手続の更新が行われたが、この更新手続中の昭和四八年五月四日の公判期日において、原告は、前記連続射殺事件後の同四三年一一月中旬ころ静岡市内に於て窃盗、現住建造物放火等の余罪(以下これを「静岡事件」という。)を犯していたことを自白した。

2  原告は、自己に対する死刑求刑がなされ、かつ、静岡事件を自白した後、本刑事裁判においておおむね次のような積極的な主張を展開するに至つた。

(一)  犯罪の<原因―動機―結果>の追及

原告の主要な主張点の第一は、犯罪の<原因―動機―結果>の解明ということであつて、その概要は以下のとおりである。すなわち、本刑事裁判において、原告の犯罪につきその結果のみに着目して刑罰を科するのは、いわば事後処理にすぎず、本件の真の解決にはならない。重要なことは、犯罪の真の<原因>が何であるかを明らかにし、どのようにすれば犯罪が発生しなくなるかを究明することである。

原告のようなプロレタリアート階級の人間が犯罪を犯す真因は、資本主義体制そのものの中にある。資本主義社会においては貧困化するプロレタリアートの存在が必然的であり、支配階級たるブルジョワジーはこれらプロレタリアートをあらゆるものから疎外する。そして、文化、教育面での疎外はプロレタリアートを無知に追いやり、無知のゆえに自分の真の敵がブルジョワジーであることを知らない彼らは、同じ階級に属する者達相互の間において抑圧し、差別し、偏見を抱き合う。そこから憎悪が生まれ、その憎悪が犯罪を生む。このような犯罪の真因を明らかにすることこそが重要なのである。

(二)  静岡事件の審理

原告の主要な主張の第二は前記の静岡事件の追起訴とその審理を求めるということである。静岡事件とは、原告の主張によれば、次のような内容である。

「原告は、前記京都事件の直後から警察官の尾行を受けており、かつ、前記函館事件の直前北海道へ渡つた際には、青函連絡船の乗船者名簿に自己の指紋や筆跡を残すなどしていたため、警察当局は早い段階から原告を連続射殺事件の犯人と特定していたのであつた。しかるに、警察当局は、原告を逮捕することなく、警察官に尾行させたまま泳がせていた。前記名古屋事件の後横浜に帰つた原告は、私服や制服の警察官多数により常時監視されていることを意識し、逮捕されるものと観念した。そこで、こうした状態からの脱出を図るため、原告は昭和四三年一一月中旬横浜から静岡へ脱出した。静岡駅に着き、市内の映画館に行つて映画をみた。休憩時間中にトイレへ行くと、直観で刑事と分る男が跡をつけてきて、原告が廊下の長椅子に座つていると一〇メートル位離れた位置から原告を監視していたので、原告は完全に尾行されていると思つた。原告は自暴自棄的な気持になり、逮捕されるか、死ぬかの心境で、同市内に於て住居侵入、窃盗、現住建造物放火、ピストルを所持して銀行への侵入と、次々に犯行を重ねたが、原告を尾行していた警察官は故意に原告を取り逃した。」というのである。

右のような静岡事件の審理を要求する理由として、本刑事裁判において原告の主張するところは次のとおりである。

(1) 静岡事件の当時、警察当局が原告を犯人と特定しながら尾行して泳がせていたのは、政府、法務省を中心とする国家権力が一九歳の少年であつた原告に犯行を重ねさせ、これをかねてから意図していた「少年法改悪」に向けての世論操作に利用しようとしたからである。このことは、原告が逮捕された当時の新聞が一斉に「犯人は一九歳の少年!」と大々的に報道し、続いて少年法の甘さを指摘する世論が現われたことからも明らかである。そして、静岡事件において原告を尾行していた警察官が犯行を重ねるのを目撃しながら故意に取り逃したのは、警察官自体が刑法一〇三条の犯罪を犯したものであり、いわば「権力犯罪」とも称すべきである。加えて、この静岡事件後の昭和四三年一二月東京府中市で起つたいわゆる「三億円事件」は、警察当局が静岡で原告を取り逃したことを隠蔽するために自ら惹起した謀略的犯罪である。このような国家権力が犯した二つの犯罪は糾弾されなければならず、そのためには静岡事件の審理が必要である。

(2) 静岡事件の糾明は、(一)で述べた犯罪の<原因―動機―結果>の追及という目的にも資する。

(3) 警察当局は、原告を放置しておけば更に大きな犯罪を重ねるであろうとの見通しのもとに、原告を逮捕することなく尾行して泳がせていたのであるから、その後に犯した前記原宿事件は、いわば警察が原告に犯行を仕向けたものであり、原告はこの犯罪については責任を負わない。

3  右のような原告の主張に対し、裁判所は、昭和五一年六月とくに準備手続を開いて原告が静岡事件の審理を求める理由につき説明を聴くなどした。その後、裁判長が交替し、新構成の合議体による初めての公判廷が昭和五一年九月二一日に開かれたが、この公判期日で原告は検察官に対して静岡事件の処理につき釈明を求め、この問題を公判手続更新後の問題とする裁判長の訴訟指揮に反発して法廷で暴言を吐いて退廷を命ぜられた。

昭和五二年四月二六日の公判期日で立会検察官は、原告の釈明に応えて、静岡事件についてはすでに不起訴処分がなされている旨述べた。この同じ期日において、静岡事件に関連する事実について証人二名の取調が実施されたが、右取調終了後裁判長が右事実の取調を打切ると宣言したため、原告はこれに反発して退廷を命ぜられた。一方、その当時原告の弁護を担当していた鈴木淳二、早坂八郎、中北龍太郎の三弁護士(本刑事裁判のいわゆる第三次弁護団)は、同じ日の法廷で、原宿事件は権力側が原告をして犯させたものであることを理由に同事件につき公訴棄却を申し立てた後、裁判所の静岡事件に対する審理方針に抗議して昭和五二年五月二三、二四日弁護人を辞任した。

右の辞任により、原告に弁護人がいないことになつたため、裁判所は、昭和五二年五月三〇日原告に対し弁護人の選任を照会し、原告の上申により二回にわたつてその選任期限を延期したが、原告が期限内に弁護人を選任しなかつたため、同年九月上旬東京弁護士会に対して国選弁護人の推薦を依頼した。東京弁護士会は、右依頼に応じて昭和五三年一月五日六名の弁護士を国選弁護人に推薦し、同年三月一六日内三人が選任されて、審理が再開された。

4  一方、法務省は、昭和五二年九月上旬に起つた日航機乗取事件を契機としてハイジャック等防止対策の検討に乗り出し、その一環としていわゆる過激派による刑事事件の裁判の進行を図る目的で、必要的弁護事件についても一定の要件の下に弁護人が在廷しないまま裁判ができるものとすることを内容とする法改正を図ることとなつた。この法改正案は、いわゆる「弁護人抜き法案」として世間の関心を集めるに至つたが、法務省当局は、昭和五三年一月から二月にかけて、右改正法案の必要性を一般に訴えるために自ら発行したパンフレット、右法改正問題をめぐる国会の委員会での質疑などにおいて、右法案が成立した場合には本刑事裁判にも適用される可能性がある旨を示唆し、更に同年四月ころ法務省の一参事官が某雑誌社のインタビュー記事の中で同旨の見解を示した。しかし、右法案は、昭和五四年六月第八七回国会において審議未了のまま廃案となつた(この事実は公知の事実である。)。

5  本刑事裁判は、昭和五四年七月一〇日に判決言渡の公判期日が開かれ、原告に対して死刑が宣告された(この事実は公知の事実である。)。

三本件論文の構成・内容等について

1  本件論文を掲載した雑誌「中央公論」昭和五二年一二月号が同年一一月ころ発行されたこと、同論文中に原告が請求原因において引用する各文章が存在することは当事者間に争いがない。

2  <証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

訴外中央公論社は、その発行する雑誌「中央公論」昭和五二年一二月号に「反国家犯続出の背景」と題する特集記事を組むことを企画し、同年一〇月初旬ころ被告福島に対し、右記事の一部を構成する論文の執筆を依頼した。右依頼を受けた被告福島は、彼が従前心理学の分野で提唱していた「対抗同一性」の概念を、裁判上自己の犯行は認めたうえで権力や社会に反抗、抵抗する被告人らを素材として、専門外の読者にも分りやすいように紹介する目的で本件論文を執筆した。なお、本件論文のほかに右特集記事を構成するものとして執筆された論文は、長尾龍一「法の論理とテロルの論理」、伊藤正孝「日本赤軍という病理集団」であつた。

ところで、心理学の分野においては、「自己同一性」(本件論文ではこれを「アイデンティティ」と称している。)という概念が用いられており、この「自己同一性」を社会や親などによつて期待され好ましいと考えられる同一性と逆に社会にとつて望ましくもなく、自分でもいやでくだらないと思う同一性とに区分し、前者を「肯定的同一性」、後者を「否定的同一性」と称するのが一般であるが、犯罪者の抱いている「自己同一性」は後者の典型例であるとされる。これに対して被告福島は、社会の多数者からは好ましくない困り者あるいは人騒がせな厄介者とみなされながら、自分たちでは真の正義を確信し、多数者に力一杯の挑戦を試みる少数者の抱く自己同一性は、否定的同一性と区別して、対抗同一性と呼ぶべきことをかねてから提唱しており、この見解は加藤正明外四名編の「精神医学辞典」(昭和五〇年弘文堂)にも紹介されるに至つている。

3  <証拠>によれば、次の事実が認められる。

本件論文において、被告福島は、自らの犯行を認めたうえで、国家や社会に反抗、抵抗する刑事被告人の例として、強盗殺人犯の矢島一夫と泉水博、それに原告の三人をとりあげている(以下、これら刑事被告人を総称して「原告等刑事被告人」ということもある。)。被告福島は、彼らは「始まりから国家・社会を意識しそのために行為する……確信犯」と異なり、「私的な動機から犯罪を犯し」たのであるが、犯罪後特定のイデオロギーを抱くに至り、これを拠りどころとして、裁判の意味、現代社会における犯罪というもののもつ意味を問いかけ主張しようとしているのであると規定したうえ、このような「一定のイデオロギーから自分の行為と社会との関連を考え、犯罪という負の出来事をかえつてアルキメデスの支点として権力や国家や制度の本質を問おうとする行為が、否定的アイデンティティから対抗的アイデンティティへの転換に他ならない。」とする。

被告福島は、これに続いて右のような対抗的アイデンティティへの転換を現代の日本青年の生育史に立ち入つて、心理学的分析を試みる。被告福島によれば、伝統的社会においては、青年はその心理的発達の過程において、父親を通じて権威というものを自己の中にとり入れてきたのであるが、戦後は「権威」としての父親のイメージは低下し、このため、現代日本の青年は、「幼児期からきびしく叱られ、躾けられ、訓練された体験をもた」ず、「幼児が生まれながらに持つ不安や攻撃性や諸本能衝動は、力強い親の介入によつてコントロールされ抑圧され整理されることがなく、心は人手の加わらない原生林のように無秩序なままに放置され」(これを「超自我の形成不全」という。)ているのであつて、「心理学的にいえば、彼らは生育史の中で権威や力と直面したことがな」い、のである。

以上のような論旨の中において、被告福島は、こうした生育史を経た子供達が青年期に犯罪を犯し被告人の地位に立たされたとき(原告等刑事被告人も、そのような被告人の一部である。)、裁判所を、現代日本の社会において「すつかり稀少な存在となつた『権威』の最後の象徴」として意識することを指摘する。そして、「日本の裁判所は現在もなお被告人が『切々と』心情を訴えて自分の『気持を解つてもらう』場所であり、裁判長が判決公判で被告人を『懇々と』諭す場所でもある。こうしたウエットな情緒的な負荷や、裁判官に対する『父親同一視』を背景としてはじめて裁判に対する反抗や異議申立てや闘争が可能ともなり、意味をもつことにもなる。」と説く。もつとも、当然のことながら、原告等刑事被告人は、その抱いているイデオロギーからして、「裁判所を国家権力の一種の下請機関とみなし、そこに正義や真実をもとめる機能をもとめようとするのは根本的に無理であると考える。」と被告福島はいう。それなのに、彼らが「裁判のプロセスの中で行為の真の意味を明らかにすることを要求している」のは、「彼らの裁判所に対する感情はどちらかといえばアンビバレント(相反する感情が同時に共存する)で矛盾したものだということ」を意味すると、被告福島はみる。そして、裁判所は、彼らの右のような審理要求に応じて、「起訴事実の認定だけを行うつもりなら、数カ月もあれば可能であろう審理を蜿蜒と続け」ている、と指摘するのである。

四そこで、以上に認定した事実に基づいて、まず、原告の名誉毀損の主張について判断する。

1  名誉とは、人が品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価をいい、名誉毀損とは、右の如き社会的評価を低下させる行為であると解される。そして、特定の雑誌記事の内容が名誉を毀損すべきものであるかどうかは、一般読者の普通の注意と読み方とを基準とし、かつ、その記事を全体として観察したうえで判断すべきであると解するのが相当である。

2  請求原因2(一)について

請求原因2(一)において引用される部分中、「いわゆる過激派革命家達のイデオロギー」が何を意味するかは必ずしも明らかではないが、本件論文を通読すれば、被告福島は右の語をもつて、連合赤軍事件、三菱重工爆破事件、東大安田講堂事件の被告人らが抱いているようなイデオロギーを総称しているものと理解することができる。そうとすると、現代日本の社会に被告福島がいう「過激派革命家」と同一又はこれに類似したイデオロギーを抱く個人又は集団が少なからず存在し、各々一定の政治的、社会的活動を営んでいる事実は一般に良く知られているところであり、かつ、<証拠>から明らかなとおり、被告福島は、右のような「過激派革命家達のイデオロギー」の正否については全く触れず、ただそれが原告等刑事被告人の思想家への「回心」を可能ならしめた力となつた旨指摘するに留まる点からすれば、仮に原告の思想形成の契機又は端緒となつたのがこれら「過激派革命家達のイデオロギー」ではなかつたとしても、そのこと自体は、原告の人格的価値に対する社会的評価を低下させるものとはいえない。

3  請求原因2(二)について

請求原因2(二)において引用される部分中、「札幌」は「函館」の、「全国指名手配」は「全国手配」の、「当時二十四歳」は「当時十九歳」の各誤りであることは当事者間に争いがない。

原告は、右部分中に「青年」とあるのは「少年」の誤りである旨主張し、被告らはこれを争うところ、なるほど少年法においては、二〇歳に満たない者を「少年」と称しているけれども、心理学上の「青年」の定義を持ち出すまでもなく、一般用語としても「少年」と「青年」の区別はあいまいであつて、一八・九歳程度の子女を「青年」と称することも世上稀ではないから、右引用部分に「青年」とあるのを誤りとまでいうことはできない。

このように、右引用部分にはその一部に記述の誤りがあるけれども、<証拠>によれば、右引用部分は、被告福島が「一般刑事犯」から「思想家」に「回心」した被告人の第二の例(第一の例は矢島一夫)として原告を挙げるにあたり、原告の犯した犯罪事実をきわめて概括的に説明する部分であることが明らかであつて、前述のような本件論文の目的、性格からすれば、ここでの要点は“原告は連続的に四人の人間を射殺した者である”ということであり、「犯罪地」とか「犯人の犯行時の年齢」とか犯人が「全国指名手配された後に逮捕されたかどうか」などは重要な意味をもたず、通常の読者はこれらのことがらをほとんど無意識に読みとばすものとみるべきである。してみると、右引用部分に前記のような誤つた記述があるからといつて、それらを根拠として、読者に原告の本刑事裁判上での主張が虚偽であるとの誤解を生ぜしめるに至らしめた旨の原告の主張は採用の限りでない。

4  請求原因2(三)について

<証拠>によれば、本刑事裁判においては二回にわたり原告の精神鑑定が行われたこと、最初の鑑定(鑑定人新井尚賢)では、原告には「狭義の精神病と思われる病的症状はなく知能も正常であるが、性格上の偏りだけが問題であり、類型的には分裂病質ともいえる状態である。」と診断されたこと、二回目の鑑定(鑑定人石川義博)では、原告は「犯行前までに高度の性格の偏りと神経症徴候を発現し、犯行直前には重い性格神経症状態にあり、犯行時には精神病に近い精神状態であつた」と診断され、右診断の根拠の一つとして、原告に「抑うつ反応」がみられる旨が挙げられていることが各認められる。

そうすると、請求原因2(三)において引用される部分は、原告が精神鑑定の結果「分裂病質」と断定されたかの如き表現を用い、また、「抑うつ反応」を「反応性抑うつ」と言い換えるなど、必ずしも右二つの精神鑑定の結果を忠実に読者に伝えるものではないとしても、おおむねこれらに沿つた記述をしているものといつて差支えなく、厳密な意味での学術論文とは言えない本件論文中の表現としては、それ自体、あながち不当とまでは考えられない。

さらに、なるほど、「分裂病質」及び「反応性抑うつ」という精神医学上の専門用語の正確な定義を理解しえない一般読者には、それらを精神異常又は性格異常の徴表と観念することが考えられるところであるから、通常人は自己が精神鑑定の結果かかる診断を受けたという事実を一般に公表されたくないという感情を抱いているものと考えられるけれども、次に判示するような本件論文の構成、右表現が用いられた文派などに照らして考えれば、請求原因2(三)において引用される部分の記述が原告の名誉を毀損するものとは考えられない。

まず、<証拠>により認められる右引用部分の前後の文章は、「当時二四歳のこの犯人は、二度にわたる精神鑑定を受け、『分裂病質』あるいは『反応性抑うつ』などと診断されたが、十年に近い裁判の間に『無知の涙』(合同出版)をはじめとする多くの著書を出版し、なお裁判闘争を続けている。彼は拘置所での生活の初期に東大安田講堂事件の学生被告たちと接触し、やがては『共産党宣言』『資本論』をはじめとする経済、人文、心理などほぼ万巻の書を読破した。」というのであつて、かかる文脈からすれば、読者は右の記述から、拘置所内において原告が多大の努力の結果、膨大な量の書物を読破し、活発な著作活動をするに至つているとの部分に強い印象を受けるとみるのが自然である。更に、<証拠>によれば、被告福島は、本件論文において、「一般刑事犯が……思想家に『回心』することは現代では決して珍しい現象ではない。」と述べ、引き続き前記請求原因2(三)において引用される部分で、一般刑事犯としての原告について精神鑑定の結果を紹介した上、そのような原告の思想家・行動家への変貌を具体的に述べ、その後右のような一般刑事犯の変貌の現象を、「アイデンティティの転回」、「否定的アイデンティティから対抗的アイデンティティへの転換」という観点から論じており(前記引用部分は、このような論述の前提事実の記述として理解することができる。)、被告福島は、この対抗的アイデンティティにつき、「一見するとこれは『おれが悪いんじやない。社会が悪いんだ』という合理化や正当化の詭弁のようにも見えるが、彼らの主張や『告発』を聞きとることは、われわれが日常性の中に埋没して見逃している多くの重要なことに気付くことにつながるようにも思われる。」と述べていることが認められる(被告福島は、右判示から理解できるように、対抗的アイデンティティにつき、ある意味では、肯定的評価を与えていると思われる。)。

以上に述べたような本件論文の構成及び請求原因2(三)において引用される部分が用いられた文脈などに照らせば、右部分は、原告の名誉を毀損するものとは考えられないし、まして、右部分が読者をして、原告の本刑事裁判上での主張を「狂人のたわごと」と誤解させるものである旨の原告の主張は、採用の限りではない。

5  請求原因2(四)について

原告が本刑事裁判において、四つの都市における連続射殺事件の後に静岡市で犯したとする犯罪であつて公訴の対象とされていない事件につき審理を求めていたことは前記認定のとおりであるから、請求原因2(四)において引用される部分で「数年前の別の事件」について審理を求めているとあるのは、その「数年前」という場合の起算点を本件論文執筆時と読みとるべきか否かの判断は別として、いずれにしても正確な記述ではないということができる。しかしながら、右引用部分を読む読者にとつて印象に残るのは、原告が「起訴されていない別の事件」についての審理を求めているということで、それが「数年前」のものであるという記述はほとんど意識されないか、あるいはせいぜい「数年前」という記述の正確性について疑問を起こさせる程度であるとみるべきである。従つて、右「数年前」という記述は、原告が逮捕後に犯した微罪について審理をせよという不当な要求をしているとの印象を読者に与えた旨の原告の主張は、採用するに由ないものである。

6  請求原因2(五)について

原告及びその弁護人が本刑事裁判において、原告の犯罪の真因は資本主義社会の矛盾にあると主張し、公訴の対象となつた原宿事件は、その前の静岡事件において警察官が原告を尾行し泳がせていたことに因るもので、いわば警察官が原告に犯行を仕向けたものであるとの理由からその公訴を棄却すべきである旨主張したことは前記認定のとおりであるから、請求原因2(五)において引用される部分で、「その事件(注=起訴されていない別の事件)の取りあつかいが本件をおこした真の原因であるという論理」を原告が展開しているかのように記述しているのは、正確を欠く記述であるというべきである。しかしながら、右引用部分の記述は余りに簡略かつ漠然としたものであつて、この部分から、原告が本刑事裁判において連続殺人事件を犯すに至つた真の原因として主張している論理を概括的にせよ把みとることはきわめて困難である(なお、本件論文中の他の部分には前記認定のとおり、原告等刑事被告人が彼らの犯罪の原因を「社会」に求めていることを窺わせる部分が存在する。)。換言すれば、右引用部分は、原告が本刑事裁判で主張した論理に関し、読者に誤解を生ぜしめ、原告の人格的価値についての社会的評価を低下せしめるほどの具体性をもつた事実を摘示しているとは言い難い。

7  請求原因2(六)について

<証拠>によれば、本刑事裁判を通じて私選弁護団が三回形成されたこと、原告は、検察官から死刑を求刑された直後の昭和四六年六月、当時同裁判を支援していたいわゆる文化人らの熱心な勧めに従つて、同裁判の当初から弁護に当たつてきた助川武夫ほか二名の弁護士(同裁判のいわゆる第一次弁護団)を解任したこと、右解任の後、原告は、主として右文化人らの推薦により後藤昌次郎ほか四名の弁護士及び二名の経済学者を弁護人に選任した(本刑事裁判のいわゆる第二次弁護団)が、昭和四九年一〇月二二日主任弁護人であつた右後藤弁護士が辞任したため、原告は、同弁護士が静岡事件の糾明を果たさなかつたものとして右辞任に抗議の意思を表明する必要があると考え、更に右第二次弁護団に任せていた原告の著作物の印税の管理につき疑念を抱いていたこともあつて、そのころ残る弁護人の一部を解任したことが各認められる。更に、本刑事裁判のいわゆる第三次弁護団の弁護人全員が昭和五二年五月二三、二四日辞任し、その後は国選弁護人が選任されたことは、前記認定のとおりである。

右によれば、本刑事裁判において原告は、いわゆる第一次弁護団の弁護人三名全員といわゆる第二次弁護団の一部の弁護人を解任したのであるが、請求原因2(六)において引用される部分の記述は、原告が三、四回ないし五、六回弁護団を解任したとの趣旨に読みとることができるから、その限りにおいて誤りがあるということができる。しかしながら、刑事被告人は弁護人選任権を保障されていることの当然の帰結として、選任した弁護人を解任することができるのであり、とくに弁護人が自己の意に沿つた弁護活動をしない場合、そのためにこれを解任すること自体は、刑事被告人として正当な訴訟行為である。そうだとすれば、右の引用部分には、前叙のとおり弁護団解任の回数につき誤つた記述が存在するとしても、そのこと自体原告の社会的評価を低下させるものとはいえない。

次に、原告は、本件論文中右引用部分の前後の文章において本刑事裁判が長期化していることを批判的に論評しており、この部分と右引用部分とを併せ読めば、右裁判の遅延の原因が原告の度重なる弁護団解任にあるとの印象を読者に与えたと主張する。なるほど、<証拠>によれば、本件論文では右引用部分に「弁護士がいなくなつて審理がのびのびになつたことも多かつた。」との文章が続くから、これらを通読すれば、読者に対し、原告の数回にわたる弁護団の解任も本刑事裁判の審理遅延の原因であるとの印象を与えるものと考えられる。

しかしながら、本刑事裁判の審理が原告の弁護団解任により遅延したか否かの判断は別として、刑事被告人が自己の意に沿つた弁護活動をしない弁護人をそのために解任すること自体は正当な訴訟行為と目すべきことは前記のとおりであり、現行刑事訴訟法が定める必要的弁護の制度(本刑事裁判がこの制度の適用をみる裁判であることは明らかである。)の下において、右のような解任行為により弁護人がいなくなつたため公判廷を開くことができず、その結果として適時に新弁護人が選任されるまでの間当該訴訟の審理が行えないという事態に至つたとしても、それは当該刑事被告人の正当な訴訟行為の帰結であつて、右解任行為が例えば訴訟の審理を遅延させるためにことさらなされた不当なものであるなどの、当該刑事被告人に対する否定的評価を伴う具体的事実の指摘がない以上、右のような帰結を公表すること自体は、当該刑事被告人の人格的価値についての社会的評価を低下させるものとは考えられない(この結論は、右のような解任行為が数回なされた場合であつても基本的には変りはない。)。してみると、右引用部分及びこれに続く前判示の文言が読者に前記のような印象を与えるとしても、原告の名誉を毀損するものとは言い難い。

8  請求原因2(七)について

請求原因2(七)において引用される部分は、被告福島が本刑事裁判の従前の経過に鑑み、今後の同裁判所の進行、終結の見通しについて同被告の予測を試みた部分であることは一読して明らかであつて、何人も現に係属中の訴訟事件の終結時期につき右のように自らの予測又は見通しを述べることは、原則として自由に許されるべきであつて、その予測又は見通しが結果として違つていたとしても、そのために右意見の表明が違法なものであるということにはならない。

9  請求原因2(八)について

原告は、請求原因2(八)において引用される部分は、原告のみならずすべての刑事被告事件につき横暴な拙速裁判をせよと煽動するものであると主張するが、そのように読みとるべき理由はない。右引用部分は、もともと原告を特定して、その社会的評価に影響を及ぼすべき具体的事実を述べるものではないのであつて、およそ原告に対する名誉毀損が問題となる性質の記述ではない。

10  請求原因2(九)について

請求原因2(九)において引用される部分は、前記認定のような本件論文全体の中における位置づけとの関連で読むときは、矢島一夫及び原告が、各々の裁判において彼らの行為の真の意味を明らかにすることを要求し、裁判所もこれに応じた審理をしているとの被告福島の事実認識を前提として、かかる事実を心理学の観点からながめれば、現代日本社会における残された唯一の権威ともいうべき裁判所も、世のもの分りの良い「父親」と同じように、右被告人らの言い分を長い時間をかけて聞いているかのような感想又は印象をもつことを率直に表明するものと理解できるのであつて、原告の社会的評価に影響を及ぼすべき記述を何ら含んでいないというべきである。原告は、右引用部分は、本刑事裁判につき裁判所の強権的訴訟指揮の発動を煽動するものである旨主張するが、右引用部分の趣旨は右のように理解しうるから、右の主張は採用の限りではない。

11  請求原因2(一〇)について

<証拠>によれば、昭和五〇年から昭和五四年にかけて本刑事裁判の審理経過、そこにおける原告の主張、原告の論文などを掲載した「“連続射殺魔”永山則夫」と題する冊子(通称「赤パンフ」)が1号から5号まで発行、頒布され、原告はその毎号に“現段階プロレタリア犯罪観シリーズ”と題する論文を発表したが、その論文において原告は自分を「東拘大学四年一組永山則夫」(但し、5号においては「四年一組」の記載はない。)と表示したほか、原告にとつての東京拘置所を「東拘大学」と称していることが認められ、被告福島本人尋問の結果によれば、同被告は原告が用いている右肩書及び東京拘置所の呼称が「小菅大学」であると誤認していたことが認められる。

そして、なるほど、請求原因2(一〇)において引用される部分中の小菅大学の語に括弧が付されていることからすれば、原告が東京拘置所を「小菅大学」と称しているとの印象を読者に与えることは否めないと認められる。しかしながら、そうであるからといつて、そのこと自体によつて原告の人格や思想につき読者に誤解を生じさせ、その社会的評価を低下させたとは到底いえない。

12  請求原因2(一一)について

<証拠>によれば、原告は、昭和五〇年一月末ころ「死刑廃止のための全弁護士選任を訴える!」と題する声明文を多数の弁護士に宛て送付し、その中で、「弁護士諸氏は熟慮して頂きたい。――一学級中たとえば四五人中、優等生五人、劣等生二〇人中最劣等生五人、とする。この内やがて、この最劣等生中一人が大犯罪を犯したとする。先の優等生中の一人が弁護士になつてふんぞりかえつて弁護している現実社会の運動を!このような教育に何らかの責任はないのだろうか?!」と述べていることが認められ、<証拠>によれば、請求原因2(一一)において引用される部分は、同被告が昭和五〇年四月二六日発行の週刊読売に掲載された右原告の声明文の抜すい部分を読み、その意味内容を同被告なりにそしやくして、要約的に摘示したものであることが認められる。

ところで、請求原因2(一一)において引用される部分中括弧書の部分は、その表現形式からみて、原告がそのような主張をしているとの印象を読者に与えるものであるが、右原告の声明文中の主張と右引用部分中の括弧書部分を比較してみると、後者には被告福島の創作が付加されていて、両者を同一のものとみることはできないというべきである。しかしながら、右引用部分は、前記認定のとおり、原告等刑事被告人が「裁判所を国家権力の一種の下請機関とみなし、そこに正義や真実をもとめる機能をもとめようとするのは根本的に無理であると考える。」と分析した被告福島が、その例証を原告に求め、原告がかかる主張をしているものとして紹介するものであり、かつ、右引用部分と右括弧書部分に示されている各思想は根本的には同一のものということができるのであつて、たとえ読者にそれが原告自身のことばであるとの印象を与えたとしても、それによつて原告の社会的評価を低下させる性質のものとは考えられない。

13  請求原因2(一二)について

請求原因2(一二)において引用される部分は、その表現形式からみて、原告の裁判に臨む心理、裁判所に対する感情について被告福島自身の不確かな推測を述べるものであることは一目瞭然であつて、読者が同被告の右推測を直ちに真実であると感ずるとは思われないし、まして、右推測的事実から原告のいわゆる裁判闘争やそこにおける主張につき読者に誤解を与えるものとは到底みることができない。

以上のとおりであるから、原告の本件名誉毀損の主張は、いずれも理由がないというべきである。

五刑事被告人の憲法上の権利の侵害について

原告は次に、請求原因2において引用される各部分は、裁判所、検察庁などの国家機関が静岡事件の背後にある権力犯罪を隠蔽する意図のもとに、原告の正当な右事件の審理要求を圧殺し、原告の意思に反する国選弁護人を強制するなど憲法が保障する刑事被告人の権利を侵害して、原告を極刑に処するという結果に加担したものであると主張する。

しかしながら、右の主張は、本件論文中の右各引用部分がどのような経過をたどつて本刑事裁判に対し影響を与えたかについての具体的な摘示を欠くものであつて、主張自体失当といわなければならない。のみならず、本件論文中の右引用部分が本刑事裁判の経過と帰結ならびにそれをめぐる周辺の動向に影響を与えたとの事実については、これを認めるに足りる証拠がない。

六以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告らに対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(伊藤滋夫 畔柳正義 小池信行)

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